生きなければならない…

生きている意味あるのか…、
とゆうより、自らを俯瞰すると、
恥ずかしく、情けなく、虚しくなります。

僕ってクズな生活・人格だな…。
みっともない事は自覚しているけれど、
改善する為の痛みを飲み込む気も無く、
ダメな現状で、ダメな現状の自分を
落とし所にし、
どこか落ち着けちゃっている。

自分のしょーもなさは自覚してますが、
こんな生活してる自分のレベルの低さと弱さに
嫌悪感を覚えます。

常々お話ししてますが、僕は中年独身。

物欲の多さはお分かりだと思うのですが、

自分の欲しい物を思う度に
ワクワクした思いと、

『この歳にもなって…』
『いいのか、ホントに』
『こんな事にお金使って、いいのか』という
自己嫌悪も感じてます。

同年代の人らは家族の為で、
自らの時間すらないだろうし、
自らのお小遣いもままならない…どころか、
お小遣いすらご家族の為に
使われるんじゃないかと…。

僕はいつまで経っても
高校生の頃と同じようなモノを欲していて
(…それはここ3,4年かな。
前職を辞めた時位から、
一気に物欲が襲ってきた。
それまではブレーキも機能していたし、
物欲も年と共に落ち着いてきた。)

…ここ数年、
もう世間体だの、将来だの、
周りと比べたりだの、
考えるの辞めました。

どこか
自堕落、自暴自棄で…、
でもだからこそ生きてこれました。

で、去年の4月に、
努力の結果、
(というよりタイミングと運が良かった) 、
なかなか社会的信用のある職業に
転職しました。

で、また以前の様に
お金にしっかりする生活に
戻らなければと思います。

しっかりとした貯蓄は
自分の自尊心につながります。

でももう少し
自分の欲望に塗れた生活を
しようと思います。

しっかり働く為、
生きてく為には、

自分の純粋に好きな物に触れてるのが、
生きてく一番のモチベーションになります。

ちょっとずつ欲を満たし、
落ち着いたらまた節制したいなと。

さぁ、今日のお話は、
『生身の僕』のお話し。

僕には両親がいます。
高齢ではありますが、
ありがたい事にまだ生きてくれています。

幸せな事に、
小さな家で、貧しい家庭だったけど、
仲良し家族で、
家族みんなで食事して、
お話しして。

子供の頃も大人になっても、
よくみんなでどこか外出しました。

現在僕は実家住まいではなく、
一人暮らしなんですが、
色々と用があり、なんだかんだ、
月に数回実家に帰ってます。

その度に
母親は、暖かい食事をたくさん用意してくれて、
お酒好きの父は、僕にお酒を振る舞います。

息子とお酒を飲んで話すことが
楽しみな様です。

昔っからなんですが、
僕を馴染みの焼き鳥屋さんに
よく連れてきます。
( しかし僕はお酒は好きですが、
とっってもお酒に弱いのです )

代わりに、僕は、
色々な手土産を持って帰ったり、
母親にマッサージをしたり、
庭の手入れをしたり、
ドライブへ誘ったり、
外食をご馳走したりします。

以前までは毎月仕送りをしてましたが、
ここ2,3年中断しちゃいました
(己の為の欲が強すぎる為)

お金を貯めて、
またみんなと旅行に行きたいなぁ。

あと、ペットの犬も居ます。

彼(オス)もまぁ、
なんで僕みたいなダメ男を
好きになってくれるのだろうか。

僕が帰ると、
体を目一杯使って、
全身で、全力で
嬉しさを表してくれます。

僕が実家から帰ろうとすると、
とても悲しそうな表情をします。

彼(オス)の事も
愛しくて仕方ない。
僕は出来るだけの事をして、
喜ばせてあげたい。

今まで、家族とは何度か大ケンカしました。

家族というのは、
皆さんそれぞれ色々あると思います。

僕ら家族にも色々あり、
まだ自分の中では納得のいかない事、
分かって欲しい事、
いつか絶対話したい事、
絶対に譲れない事…、

家族に対して色々あります。

全部ぶちまけてしまいたい気持ちは
ありますが、

そんな事をしたら、
僕の愛しい大切な家族が壊れてしまいます。

これからも色々あるでしょう。
また大ケンカするかもしれないし、
もう仲直りする事はないかもしれない。

ただね、
父も母も、僕のことを信じてくれてます。

どんな事があろうと、
僕を信じてくれます。

だから今、こんな生活

( 詳しくは まだ当ブログでもお話しできないのですが )


黙ってしているのが心苦しい。

僕は
一生懸命に生きなければいけない。

『一生懸命に生きる事』とは
どんな事だろうか…、

一生懸命働き、
悩みながらもやりがいを感じ、
社会貢献し、
そしてやっぱり、
家庭を築き、
家族と幸せに生きることではないか。

前述の通り、
タイミングと運、
それから少しの努力で、
僕は社会的信用のある職業に就けました。

しかし、今、
『一生懸命に生きて』ません。
( 詳しくは まだ当ブログでもお話しできないのですが )

『一生懸命に生きる事』とは…、
もう少しハードルを下げてみましょう。

自分が生き生きと生きる。
好きなことに感動し、満足する。

いや、何をしても、しなくてもいい。

楽しければいい。いや、楽しめなくてもいい。

素直なまま、無理しないでいい。

生きるって
こんなことでいいのかもしれませんね。

あと当たり前ですが、
犯罪を起こさない。
人を傷つけない。
しかし時として誰でも過ちは犯します。

だから、深く反省し、心から謝罪をする。

一人だから、
気楽に好きなように生きる。
それでも素敵な人生送れます。

しかし僕には父と母がいます。
両親がずっと笑顔で生きていけるように、
僕は生きたいです。

自分自身より
両親や家族を思って生きていましたが、

実は自分自身が一番幸せに生きていなければ、
みんな幸せではないのだろうか。

僕には父と母がいます。
いつだって僕を愛してくれます。

だから僕は生きなければなりません。
一生懸命。

この歳になり、
この様に両親を思う、
それは親離れしていないのでしょう。

ちょっと気持ち悪いですね。

僕には
僕の人生があり、生活があり、

両親には
両親の人生があり、生活があります。

心配なら、
お金を渡すだけでいいのでしょう。

そのお金で彼らはやりくりする。

彼らは
彼らなりの責任と情報の中で。

お金を渡して、
時々声掛けをする、

年末年始くらい帰る。

それが、
成人した子と親の
正しい付き合い方なのかもしれませんね。

僕は、
実家と自分の家が近い事が
原因かもしれませんが、
確実に老いてく(弱ってく)両親を見ると、
ほっとけない。

やはり僕は親離れしていないんだな。
どこか依存しているんだろう。

年老いた両親を支えるという名目の元、
両親に依存しているのだろう。

親元を離れる、自立するというのは、

少し残酷かもしれませんが、
両親に何かあっても、

それは彼らの人生、
彼らの問題、

と割り切らなくては
いけないのかもしれません。

だから責めて、
お金を渡すだけでいいのかもしれません。

何か起こった時だけ、
支えればいいのだろう。


何か起きないように、
日頃から両親を思う事は、
依存であり、
親離れしてないんだろうね。

人から人に対する、

『気持ち』と『お金』と『時間』。

その中で一番重要なのは『時間』だと思う。

どれだけの『時間』を、

その人の為に

費やせるか…。
費やしたか…。
費やして頂いたか…。

人から愛情や恩を感じた時は、
『時間』って
一つの大きな目安になると思う。

いづれにせよ、
父も母も、
いつでも僕を信じ愛してくれています。

だから僕は生きなければならない。

この先、僕は一人になります。
年老いた両親とはお別れする時が来るし、
その前に喧嘩別れするかもしれません。

僕は一人です。
それでも生きなければなりません。

生まれたからには。

せっかく生まれたのだから。

気持ちが不健康になってる時は、
早起きし、
朝日を浴びながら散歩をしましょう。

夜寝れてないのなら、寝ないでいいです。
朝になったら、
朝日を浴びながら散歩をしましょう。

不健康が過ぎて、
家を出る勇気が無くなってしまったら…、

まずは、
ほんの少しの散歩を目標に、

そして次は、
朝日を浴びながらの散歩を目指しましょう。

昼夜大逆転、
メンタル絶不調、
極度の不安や恐怖…、

そんな状態でも
朝日を浴びる散歩を習慣づければ、

きっと心身ともに健康になります。

人間の体、心ってのは、
そんな風に
できてるんじゃないかと思ってます。

自然の摂理ってやつですね。

朝日を浴びながら散歩しましょう。

自分の心とは裏腹に輝く太陽、
出勤中の人、
爽やかな散歩人…。

視界に入れるのが辛かったら、
とりあえず、
部屋の中でいいから、窓を開ける。

そして、朝の深呼吸から始める。

そのうち外に出たくなりますから。

人間は誰でも一人です。

孤独で辛い人、
家族や職場、環境に辟易している人、
一人になりたい人、
誰も何も信じれない人、

大きな隠し事をしている人…。

生きてる理由が辛いのは
人それぞれ。

その人の
性格、環境、生い立ちによって違います。

だから生きてく理由も、みんな違います。

いや、理由なんて入りませんね。
生まれたからには、生きましょう。

朝日を浴びながら散歩しましょう。

答えなんて出るもんじゃないけど、

そんな難しい事はすっかり忘れて、
気づいたら一生懸命生きてます。

ではまた…。

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