’90年代後半〜’00年代中頃、青春を彩った情報源

'90年代後半〜'00年代中頃、青春を彩った情報源 好きな事

こんにちは。

前回に引き続き、
今まで何度か軽く触れた

僕の青春時代について
お話しさせて下さい。

〜〜

↓ まずは前回の記事、
『’90年代後半、東京。
10代のファッション及び文化。』

↓ ワークブーツについての、
『歩こう、歩こう、私は元気。』

↓ goro’s について語った、
『goro’s について』

《東京○トリートニュース》、

《BOY’S ○USH》、

《Men’s ⚪︎gg》…、

この3つの雑誌は
’90年代中頃から ’00年代初期まで
東京、神奈川、千葉、埼玉 住みの
アラフォー世代しか知らないかもですね。

僕は ’98年〜’01年位まで、
毎号欠かさず買ってました。

’09年くらいまで持ってたんだけど、
邪魔過ぎて BOOK-OFF に
売ってしまったんだっけ。

勿体無いですね。

今となっては、
当時のファッションや文化、
若者の空気を知る
貴重な資料ですね。

〜〜

今日のお話は


『’90年代後半〜’00年代中頃、
青春を彩った情報源』

についてです。

これらを語るに、
まずは…

《東京○トリートニュース》、
《BOY’S ○USH》、
《Men’s ⚪︎gg》…、

この3つの雑誌からお話しをしましょう。

この3つの雑誌は、
当時の僕ら高校生に寄り添った、

今でいうsnsに
一番近い雑誌だったと思う。

アラフォーになってからは
当然、ティーン向けの雑誌なんか
読んでないのですが、

現在刊行されてるティーン向け雑誌って、
どんな感じなんだろう。

今の時代、
皆さんsnsで繋がってるし、
必要な情報は
ググればすぐに出てくるわけで。

当然、’90年代なんて、
snsは無い訳で。

僕らの時代は

仲間とのやり取りは、
ポケベル、PHS、そして携帯電話。
メールでやり取りしました。

そう、1 対 1…。
ないし、仲間内だけの繋がりでした。

仲間内で情報共有をし、

『ムーブメント』を僕らが作り

『最新情報』をメディアが発信し、

『流行』をメディアが広めました。

当時のファッション雑誌は、
読者の声を拾い、
全国の読者を繋げてました。

⚫️ 《東京○トリートニュース》での
僕ら先輩世代の
各界のカリスマさん達の
インタビュー&私物紹介。

同世代の僕らのイケてる情報を
みんなで共有、発信した、
まさに現代のsnsそのもの。

読モさんに採用されると、
グラビアみたいな
インタビュー記事になるんですよね。

『私立xx高校x年 ooooさん!』って。
一番親近感あり、生活感を感じ、
実はみんな憧れてたんじゃないかな。

読モさんの文化祭を取材したり、
私生活に密着したり。

印象深かった記事は、
某日サロのカリスマ店長さん、
店員さんへの取材。

所有している
goro’s や RED WING や
ペンドルトン や オルテガ のジャケット、

住んでいる部屋まで披露して下さって、
それはそれはカッコ良かったです。

そして、当時も、今も、
僕をずっと憧れさせているのは、

その記事のほんの一コマ…、
ほんの少しだけ掲載されていた

カリスマ店長さん
所有の愛車 JEEP でした。

品良く 2 inch 位だったかな、
リフトアップしていて、

これぞ ’90年代初頭の渋カジ!
って感じでした。

実際 ’90年代初頭の渋谷には、
こんな JEEP が多かったらしい。

いつか乗ってやる!

⚫️ 《BOY’S ○USH》での
オリジナルジーンズ製作企画や、
ジーンズ履き込みレポート、

goro’s特集
(これは後に問題になったのかな…?)

毎回アメカジに関して
ライターさんは
専門的で良い記事を書いてたと思う。

当時のファッション雑誌の中でも
一際アパレルについては
アイテムを深掘りし
真面目に記事にしてて、

ライターさんのアパレルに対する
プライドを感じた。

僕もこの雑誌の影響で、
17歳頃からジーンズにハマりました。

30歳位まで、
様々なジーンズを
必ずリジットで購入し、
365日履き、洗濯を繰り返し、
履きつぶしてきました。

⚫️ 《Men’s ⚪︎gg》では
リアルなファッションや

スリルあるストリートの空気に加え
’90年代初頭の渋カジ
なんかも紹介してて。

決して『表通り』を歩いてるだけでは
見る事のできない情報を
チラチラと見せてくれたと思う。

登場していた読モさんも、
ご自分の私生活や人生を
可能な限り披露して下さり、

流行の第一線、渋谷で生きる事とは、
どんな事かを、
身を持って読者に教えてくれました。

読モさんの普段乗っている愛車の紹介や、
イベントレポートや、クラブ情報…、
生の情報が刺激的でした。

上記3つの雑誌は、
本当に良い雑誌でした。

10代の雑誌にしては勿体無いくらい
色んなアイテムやファッション、
カルチャーについて解説してた。

令和のこの時代でも、全然通じる…、
いや、この時代でも
目から鱗の情報が満載でした。

《東京○トリートニュース》、
《BOY’S ○USH》、
《Men’s ⚪︎gg》…、

いずれも、
goro’s、
Arizona Freedom、
REDWING、
を始めとしたアメカジを推してたし、

VANSON、
Schott、
levi’s、
なんかを組み込んだ
渋カジ時代の
有名ショップを紹介してたし、


この流れで
《FRE⚪︎&EAS⚪︎》にハマるのは、
自然な気がする。

そこで、
僕は19歳頃(’02年頃)から
《FRE⚪︎&EAS⚪︎》に
ハマっていくのですが、

当時
《FRE⚪︎&EAS⚪︎》にハマっていた
同年代〜20代前半の人は
少なかったと思う。

これは《FRE⚪︎&EAS⚪︎》は
土臭く、
DAD’S世代向き
だったからだと思う。

〜〜

僕は20代前半、
(’02〜’06年頃)

毎日泥だらけ、
傷だらけになりながら

現場仕事 
(F&E 風に言えばブルーカラー)
してたから、

《FRE⚪︎&EAS⚪︎》の世界観に
ライフスタイルがピッタリだった。

A-2とか、あんなオッさん臭いの、
当時の僕は良く着てたよなー。
しかも大金叩いて…(笑)

〜〜

⚫️ 《FRE⚪︎&EAS⚪︎》
すごく良い雑誌でした。

ライフスタイル誌としても。
ファッション誌としても。

僕は編集長が毎回語る
『 Dear Readers 』 や
お馴染みの 『 DAD’S STYLE 』を
楽しみにしてました。

今でも印象に残っているのは、
『男の秘密基地特集』…?っだったかな。

こだわりの職場、工房の取材で、
goroさんも登場されてたっけ。

しかし、《FRE⚪︎&EAS⚪︎》が
爆発的なセールスを記録して、

『ラギッドミュージアム』なるものが
出来た時くらいから急に冷めた…。

読者との程良い
『距離感』と、

F&E独特の、
あえて読者のニーズに応えず、
ウォンツを刺激する、

『媚びない感』を

感じなくなり、

代わりに急に『生活感』を
感じるようになり、

紹介アイテムにも

『商売的な何か』を
感じる様になってしまった。

読者との距離が近過ぎて、
まるで
ティーン向けの雑誌になってしまった。

〜〜

CHOPPER文化 や
HOTROD文化 も好きで、

雑誌《 HARD COR⚪︎ CHOPPE⚪︎ 》
なんかも創刊号から集めていたけど、
後に処分。

創刊号なんて

『 HOTRODカスタムショー 』に
来日したチョッパーデイブ氏に
サインまでして頂いたのに…。

それに
某有名MCメンバーが
あんなにたくさん登場する雑誌なんて、
今までもこれからもそう無い気がする。

何て事しちまったんだろ…。

〜〜

⚫️ 《 HARD COR⚪︎ CHOPPE⚪︎ 》
に関しては、

もう最初から最後まで、
最高でしたね。
本当にクール。

あんなに骨のある雑誌、
そう無いと思う。

誌面に出てくる広告でさえ拘ってて、
『キレイ事が嫌い』な編集長さんの
生き方がカッコ良かった。

いつかの H.R.C.S. だったかな…、

編集長さんが
以前担当していた
日本版《⚪︎ASY ⚪︎IDERS 》
だったっけかな…?

バックナンバーを
《 HARD COR⚪︎ CHOPPE⚪︎ 》の
ブースで
一冊 ¥100 で販売してたんだけど、

僕がたったの一冊だけなのに買うと、
編集長さんは、
それでもすごく笑顔で元気に
対応して頂きました。

値段からして、
在庫処分みたいな投げ売りで、
儲けなんて考えていないと思うんだけど、

それでも僕に
誠実に感謝を表してくれました。

小さな事でも
見えない所でも手抜きしない…、

とゆうか

ご自分の仕事を愛して、
楽しんでるから
自然に出来る事だと思いました。

当時取材直後に亡くなった、
インディアン・ラリー氏を讃え、
ご自身の生き方に触れた記事や、

同年代である
ジェシー・ジェームス氏の心情に
ご自身を重ね合わせた記事…、
本当にカッコ良かった。

創刊号から第5号くらいまで、
シーンのアーカイブになってて。

ご自身の
それまでのキャリアの
集大成の様に思いました。

国内外問わず、

数々のバイクビルダーさんの取材、

(宮城の wild road chopper、

衝撃を受けた。

いつか乗りたい。

どうしたらそんな人生歩めるか、

人生大きく変える必要がある。

いつか大きく舵を取ろう。)

バイクにおいて
決して主役ではない、
素晴らしいパーツメーカーの特集…、

切り口が、他雑誌と全く違っていた。

自誌が売れる為に
流行を追うのでなく、
シーンの為に、流行を作る。

または、流行を刺激する。
流行に問い掛ける。

メディアとして、
ぶら下がりでは無い、

良いモノだけを紹介するプライド、
シーンを引っ張る責任感を
強く感じた。

編集長さんや、ライターさんの
フルカスタム…、

あんな本気の企画は、
並大抵の覚悟では実行できない。

伝説のFRISCO特集…。
sinnersの紹介…。

今では当たり前ですけど、

クラブバイクのスタイルや、

旧車なんかを
ネルシャツとスニーカーで
ラフに乗るスタイルなんかは、

この雑誌が流行らせた…、
いや少なくても、大きく影響を与えたと思う。

〜〜

そして20代中頃
(’08年頃) になると、

普通の会社員
(F&E 風に言えばホワイトカラー)
になった為か、

当時の僕のライフスタイルと
《FRE⚪︎&EAS⚪︎》のライフスタイルに
ギャップを感じ始め、

それから自然と
’09年位からは雑誌《S⚪︎FARI》に
夢中になって、

ついにはこの頃、

《東京○トリートニュース》、

《BOY’S ○USH》、

《Men’s ⚪︎gg》、

《FRE⚪︎&EAS⚪︎》、

《 HARD COR⚪︎ CHOPPE⚪︎ 》

を処分したり

goro’sを知人に譲ってしまった。

〜〜

近年は
雑誌が売れない時代だと聞きました。

snsで色んな情報を掴めるけど、

ナンチャッテじゃない、
その道のプロであり、
愛好家であるライターさんが
作る想いは、

現在のsnsでは
掴め切れないと思うんだよね。

いくら
『 情報 』は
ネットで無料で拾えても、

プロのライターさんの書く
『 記事 』は
お金を払う価値があると思う。

ただのモノ好きの素人が、
いくらsnsで
カッコいいコンテンツに仕上げても

実際に足で取材を重ね、
何年もその道を愛し、
至る所に信用を築いた

プロのライターさんとは
伝わるモノが違う。

雑誌を処分してしまった事は、
一生の不覚であり残念だが、

あの時の雑誌の記事は、
こうして
いつまでも大切に心に残っている。

あの雑誌を見る度に感じた
リアルな空気感、
ワクワク感…。

なんていうか、
今の時代では感じる事の出来ない
『 熱 』 が
あったよね。

雑誌の編集者さんって、
ハードワークで厳しいと聞きます。

しかし、素敵な職業ですよね。

だって僕みたいに

何十年も
記憶に残して、

何十年も
夢中にさせたままですから…。

これで、今日の記事は
取り敢えず終わりとします。

前回、今回、と
二本立ての記事となりました。

長い記事だ。
青春時代を振り返った、
完全自己満足の投稿です。

こんな自分史みたいなウザい記事、
お読み下さり、
本当にありがとうございました。

とにかく、
どこか冷めてる現代と違って、
熱かった
あの 『’90年代』を語りたかった。

また気持ちが溢れ出して止まらず、
語りだす時が来るかもしれない。

その時は、
また文字ばっかりだと思うけど、
また付き合って下さいね。

ではまた…。

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