’90年代後半、東京。10代のファッション及び文化。

'90年代後半、東京、10代のファッション及び文化 好きな事

こんにちは。

今回、次回と、
今まで何度か軽く触れた

僕の青春時代について
お話しさせて下さい。

〜〜

↓ ワークブーツについての、
『歩こう、歩こう、私は元気。』

↓ goro’s について語った、
『goro’s について』

《東京○トリートニュース》、

《BOY’S ○USH》、

《Men’s ⚪︎gg》…、

この3つの雑誌は
’90年代中頃から ’00年代初期まで
東京、神奈川、千葉、埼玉 住みの
アラフォー世代しか知らないかもですね。

僕は ’98年〜’01年位まで、
毎号欠かさず買ってました。

’09年くらいまで持ってたんだけど、
邪魔過ぎて BOOK-OFF に
売ってしまったんだっけ。

勿体無いですね。

今となっては、
当時のファッションや文化、
若者の空気を知る貴重な資料ですね。

〜〜

今日のお話は


『’90年代後半、東京。
10代のファッション及び文化。』

についてです。

〜’98年〜

’98年当時、
若者たちは
GUCCIやアルマーニやらの
ハイブランドのスーツに身を包んだ

『キレイめ』ファッションや、

有名進学校在籍、
ハイスペック美男美女の

『スーパー高校生ブーム』 が、

落ち着き始めた頃でした。

一気にファッションも
ラフにカジュアルになりつつ、

ストリート系ファッションや、
丘サーファーさんが多かったと思います。

裏原さん系も勢いあって輝いてました。

あまり裏原系は詳しくないのですが、

この頃には
既に数々のカリスマショップは
軒並み始まっていました。

既に大人気で確固たる人気を確立し、
今に続いていると思います。

しかし、どうしてもストリートは
いつの時代も、

どこかトッポい輩みたいなのが、
ドヤ顔でたむろします。

当時裏原さんより、
丘サーファーさんの方が、
主流だったと思います。

サーファー系と呼ばれていましたが、
キレイめカジュアルって感じでしょうか。

トップは
ハイブランドのニットやカーディガン、

ボトムは
リーバイスのダメージジーンズ。

それに
クラークスのワラビー。

みたいなスタイル。

そうそう、
『スーパー高校生ブーム』で思い出した!

この時代(’90年代後半)は…、
スクールバッグありますよね? 

高校生が通学に普通に使うやつ。

そのスクールバッグがですね…、

イケメンさんの多い学校だったり、

有名読モさんがいる学校だったり、

イケてる人らの多い学校だったりの、

スクールバッグを持つ事が
流行ったんですよ!

『私は(俺は)、この学校に友達居る!』

『私は(俺は)、この学校の人らと親しいよ!』


…、みたいなアピールで、

人気校のスクールバッグを持って
通学、行動する事が、
一種のステイタスだったんですよ!

今思い出すと、笑えますよね!

僕も人気校のバッグ使ってました。

でも実はその学校に
友達は居なかったんですよね(笑)


友達の友達…の先輩?、が、
その学校の卒業生…?、とかで、

(もはやその関係性すら、
よく知らないでいた 笑)

安く売ってもらったんだっけかな!(笑)

もはや、元々誰の物だったのかもわからない
有名校のスクールバッグを使ってました。

当時、そんな高校生ばっかりでしたよ。
みんなホントの事は言わないけどね!

でも有名校のスクールバッグは
すごい人気で、
ニセモノまで流通するくらいでした!
(↑これ、本当です。)

そのニセモノと本物との見分け方は、

本物はロゴがバッグと同色に対して、
偽物はロゴが白かったり…。


都内でもニセモノが多く販売されてました。


高校デビューした子なんて、
何もわからず、
そのニセモノを購入してしまい、

数ヶ月後に気付いて、
恥ずかしくなったりするんですよ。

当の人気校では、
一人一個までとか、
購入制限が掛かったり。

次回の記事で、
詳しくお話しする予定の雑誌、

《東京○トリートニュース》なんですが、

雑誌の企画で
オリジナルのスクールバッグを
製作してました。

しかも、これがまた、カッコいい。

主張し過ぎないデザインで普遍的で、
使い勝手も考えられてて…。

ウォークマンを使用しやすく、
バッグ本体にコード穴があったり、

持ち物検査で引っ掛からない様に、
隠しポケットが付いてたり…。


遊び心もあって、面白い企画だったなー。

それ程、当時の高校生の間では
スクールバッグって
熱かったんですよね。

近年、高校生って
スクールバッグ使わないですよね?
みんなリュックサック。

あの頃の僕らを見せてあげたい(笑)

いや〜、面白い時代でしたよね。
’90年代後半っ!!!

当時みんな、今の若い子よりも
断然見栄っ張りでしたね!

今の若い子よりも、
ブランド志向だったし、
財布もベルトも、
みんなブランド品持ってたなぁ〜。

だから、みんなギラギラしてました。
今の若い子よりずっと。

だから今思うと、品が悪かったですね…。

飲○、喫○、なんて当たり前。
路上で座り込み、駄弁って、溜まって…。

今の若い子って、
ギラついたモノは少ないかもだけど、
みんなマナー良く、礼儀正しく…、

それが良いと思う。
それが、どれだけ素晴らしい事か。

カッコ良い事って、
僕はそうゆう事だと思ってます。

背伸びしてカッコつける事って、
等身大の自分を否定する事で、
結局カッコ悪い事なのかもしれませんね。

当時、
ちょいワル=イケてる、
真面目=ダサい…、
みたいな風潮も、
少なからずあったと思う。

あの時代が…、僕らがバカだった…。

〜’99年〜
’99年になると、
ロブ・マチャド 風な
プチアフロ や、

岸田健作さんや
加藤春彦さんみたいな、
外ハネ ミディアム ヘアー の
メッシュ派や
ブロンド派が
誕生しました。

逆に ショート ヘアー で、
髪を白髪までブリーチ派もいましたね。

いずれにせよ、
髪をハイブリーチすると、
紫外線で
ブリーチが黄ばんでくるんですよね。



だから皆んな
紫シャンプーしてましたよね(笑)

メッシュかぁ〜。
都内だと、
西は吉祥寺、東は金町に
メッシュを安く大量に入れて下さるお店
ありましたね(笑)

レッドウィングの
赤いキャップが大流行してて、

皆んなミディアム ヘアー の上に
赤いキャップを
目深に被り、
サイドから襟足を
無造作に跳ねさせるんですよね。

そう言えば、
あのレッドウィングの赤いキャップ、
定価¥3,980円位だったと思うけど、

委託店とか、個人売買とかで
¥20,000〜30,000円位で
取り引きされてましたよね。


今も昔も狂ってますね(笑)

《BOY’S ○USH》では、
真木蔵人さん、
表紙とロングインタビュー
ありましたね。

カッコよかった!

プロのサーファーで、
しっかり結果も出していて、

ライフスタイル
そのものが
ファッションである事が、

10代の
僕らにとって
初めて触れる衝撃でした。

サーフィンが、
もはや生活の一部である事、

仕事への姿勢、

お父様へのリスペクト…、


それはそれは、
僕らが触れた事のない
クールなライフスタイルでした。

まさに大人の男って感じがしました。

そしてこの年 (’99年) は
本格的な
『ネイティブ系』ファッションが
大流行します。

高校生、大学生を中心に、
何度目かのgoro’sブーム!

goro’sは、
この年あたりからは
何周期で巡ってくる
ブームでは無く、
完全にトレンドになったと思う。

夏はヘンリーネックにカラーパンツ。
冬はペンドルトンのジャケットに
ダメージジーンズ。

季節問わず、
goro’s や Arizona Freedom を
身に着け、
足元はレッドウィング。

確かこの年 (’99年) は
Arizona Freedom の
創立10周年で、

《東京○トリートニュース》に、
創立10周年企画で
全作品のカタログを掲載されてました。

Arizona Freedom って、
今も昔も、
どうしてもgoro’sの二番煎じ的な、
goro’s買えない人が買う、

みたいな感じあるけど、

今も昔も僕は大好きです。

それは
《東京○トリートニュース》に
掲載した、
創立10周年カタログが
強く影響してると思う。

この年 (’99年)、僕は高校2年生。

夏休みのバイト代で
シルバーのフェザーと、
太陽神モチーフのトップを
購入したのを覚えています。

この頃から’07年位まで
アリゾナはホントにカッコ良かった。

今よりバイカーっぽかった気がするし、
もっと硬派で、
今みたいな万人受けする
商品展開では無かったと思う。

今じゃ生廃になってる
バックルのデザインとか、
カッコ良かったなぁ〜。

数年前に
アリゾナの実店舗に行ったのだけれど、

レザーアイテムとか、
良い悪いは別として、
明らかに昔と使ってるサドルが
変わっちゃってましたね。

外注先が変わったのでしょうか。
昔の方が癖のない質感だったなー。

ディアスキンバックなんかは、
もう製作してないみたいですね。

当時ウェアハウスに
製作依頼してた、
Arizona Freedom の
オリジナルジーンズは
メチャクチャカッコ良かった。

強めなブーツカットで、
革パッチだったんだけど、
その革パッチも
肉厚でカッコ良かった。

確か営業時間も
23時くらいまでやってて、
どこかコアな感じが漂ってた。

シルバーのジッポを持ち込み、
『このトップをロウ付けして欲しい』
とお願いすれば、
その場でやってくれたと思う。

あの頃みたいに、
ワイルドな、骨太な
ブランドイメージの方が
ワクワクするなぁ〜。

この年 (’99年) は、
高校生の間でも
サークルが活発でした。
有名サークルがいくつも存在しました。

これまた次回の記事で、
詳しくお話しする予定の雑誌、

《東京○トリートニュース》、
《BOY’S ○USH》…、

なんかにも、
高校生サークル特集が組まれ、
メンバーの皆さん掲載されてましたね。

ギャルサーなんて、
この頃生まれたんじゃないかな。

ガングロギャルさん、流行りましたね。

パラパラってご存知ですか?
流行ったっけ。
『 🎵 Night Of Fire 〜 🎵 』(笑)

アムラーさんも落ち着き、
今度は
浜崎あゆみさんの、
あゆラーさんが誕生しました。

109のカリスマ店員さん、
みんな美人さんでしたね!

アルバに、ラブボに、エゴイスト…。

男の僕さえ知ってました。


109のカリスマ店員さん、
当時の若者の文化に
すごく貢献してたと思う。


彼女達もまだ、20代前半。
好きな仕事とは言え、
超ハードに働いていたと思う。

好きな仕事とはいえ、
もっと遊びたかったり、
自分の時間が欲しかったのではないか。

どれだけの労働時間だったか、
わからないですが、

メディアに度々登場してたし、
あれだけ女の子が夢中になってたから、
多忙極めてたと思う。

体調が悪い時もあったでしょう。
プライベートで
辛い事もあったでしょう…。


それでも

常に人の視線に晒され、
いつも店頭で笑顔で立ち、

女子高生の記念写真に応じ、

常に自信に満ち溢れた
立ち振る舞いを
しなければいけなかったのでしょうね。

若者達の
ファッションリーダーでしたからね…。

もしかしたら、
苦しい思い出かもしれません…。

でも、
スタイリッシュなあなた達は、
当時の女の子や、
男の僕らでさえの憧れで、
キラキラした時間を過ごせました。

どうもありがとう。

〜’00年〜

そして’00年。
あれ程流行った
『ネイティブ系』も、
一気に幕引きします。

ロン毛メッシュも一気に減り、
今度はDA PUNP の ISSA さんみたいな
ショートヘアを
派手に立たせたスタイルや、

IWGPの窪塚洋介さんの
キングヘアーが街中を占領し始めました。

『アッシュカラー』、と呼ばれる
ヘアカラー名も
この年辺りから
一般的になってきたと思う。

’90年代中頃より続いた、
キムタクさんのロン毛ブームも
次第に落ち着き始めた頃でした。

ファッションに関しては、
前述のIWGPの影響か、
ギャングファッションの方も
多くいらっしゃいました。

しかし、『これっ!』と言った流行は無く、
どこか流動的で。

しかしこの年辺りから、
裏原系、サーファー系、アメカジ系…、
といった
決まり事に囚われることのない、

今に通じる、
あらゆるジャンルを織り交ぜた
自由なスタイルの始まり。

お洒落さんが増えていったと思います。

ガングロギャルさんも
依然として
勢力拡大してましたが、

一部女子高生の中では、
大学生になってからは
『大人のお姉さん系』になるのを
意識してか、

白ギャルさん?
美白を意識する子が
増えてたと思います。
当時の彼女もそうでした。

《東京○トリートニュース》や《⚪︎gg》 
から 
《⚪︎i ⚪︎i 》や《⚪︎an ⚪︎an 》
といった雑誌にシフトしていったと思う。

そして、’00年といえば、
あゆラーさんの全盛期じゃなかろうか。

女の子はみんなアユに憧れ、
男はみんなアユに恋をした。

’98年は『キレイめ』…

’99年は『ネイティブ系』…

’00年からは
現在のファッションの始まり…

これはリアルに
’98年から、
当時首都圏で必死に流行にしがみつき、
高校生をしていた僕が
実際に肌で感じた確かな記憶である。

これが東京と地方では偉く違う。
(…と思う。)

ネイティブ系なんて
地方では流行らなかったと思う。

たぶん、地方では
裏原系やストリート系が
主流だったんじゃないかな。

これは多分『ネイティブ系』を推してた、

《東京○トリートニュース》とか
《BOY’S ○USH》は

地方では発売してなく、
(…多分ね。)

『裏原系』や『ストリート系』を推してた

《HOT ○OG》や《Boo○》、
《smar○》…

なんかは、
割と全国で発売してたからだと思う。
(…多分だよ。)

それと、
『キレイめ』、『ネイティブ系』
というキーワードは、
僕が考えた言葉では無く

《東京○トリートニュース》、
《BOY’S ○USH》、
《Men’s ⚪︎gg》、

これら上記の雑誌をはじめ、
多く使われていた
当時の確かなファッションです。

たまに、
ネット記事や雑誌で、

この頃 (’90年代後半) の
東京を渋カジと
おっしゃる人がいらっしゃいますが、

渋カジは
’80年代後半〜’90年初頭。
僕らの先輩世代。

革ジャン、goro’s、エンジニアブーツ…。
そしてチーマー文化。

一番、東京がスリルあって男気あって
ワイルドでスタイリッシュな時代
だったのでは、と思う。

僕はリアルタイムではないので
わかりませんが、

その分、その時代には、
そんな憧れみたいなものを感じてます。

あとgoro’sに関しては、
今だと
やっぱり木村拓哉さんが有名ですよね。

でも、少なくとも

木村拓哉さんは
’90年代は、
goro’sを身につけて
メディアには出ていなかったと思う。

きっと2010年ちょい前くらいから
goro’sを身につけて
メディアに出始めたんじゃないのかな。
’90年代は、
クロムハーツ愛用のイメージが強いですね。

↓またしても
当ブログの過去記事なんですが、

このドラマでも確か着用してたと思うけど

’90年代から
木村拓哉さんは、

クレイジーピッグの

(グレートフロッグなのか?)
(それとも コーツ アンド ハケット??)

キースリングを長く愛用してると思います。

goro’sは
’90年代後半だと、
藤原ヒロシさん、金子賢さん、
三宅健さん、村上淳さん、江口洋介さん、
辺りが有名でした。

しかし、当時の僕ら10代にとっては、

芸能人さんよりも、

読モさんや、
カリスマ美容師さん、
カリスマ店員さんの方が、

ファッションリーダーだったと思う。

それはきっと、

ファッション雑誌という
メディアが、
当時の僕ら10代にとっての
『絶対』

だったから

じゃないのかな。

あと、
ファッション雑誌のライターさんは、

芸能人さんより、
読モさんや
各界のカリスマさんを

取材する方が手っ取り早く、
交渉しやすかったのではないかと…。

次回は、
そんな雑誌についてのお話しです。

本日も長々と、
当ブログを拝見して下さり、
ありがとうございます。

次回は、
’90年代後半の

僕の青春時代のバイブル、

《東京○トリートニュース》
《BOY’S ○USH》
《Men’s ⚪︎gg》

そして’00年代、
主に僕が20代前半に
夢中になった雑誌、

《FRE⚪︎&EAS⚪︎》
《 HARD COR⚪︎ CHOPPE⚪︎ 》

について、お話しさせて下さい。

次回も長々となりますが(笑)
どうかお付き合い下さい(笑)

ではまた…。

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